生きていると色んなことが起こります。
嬉しいこと、楽しいこともありますが、同様に、悲しいこと、辛いことも。
個人的には、嬉しいことや楽しいことはまるで打ち上げ花火のようにドカーンとくるような印象ですが、悲しいことや辛いことの方が心の奥底にずっとズッシリと居座っていたりする印象です。
特に、それが仕事関係だったりすると、自分の都合ですぐには処理できなかったりします。
すると余計に、心のどこかにその恨み・辛みみたいなものがマグマのようにグツグツとして、変に煮詰まるような気がします。
過去起きたことは変えられないにしても、せめて気持ちを変えたい、そう思った時に使える方法があります。それが禅の教えです。
目次
「怒り」は仏教の三毒の中の一つ
仏教では、根本的な煩悩として、怒りを「三毒」のひとつとしているようです。
この「三毒」とは、「貪(とん)」必要以上に物を求めるむさぼり、「瞋(じん)」怒り、「痴(ち)」真実を理解しない愚かさ。
この「三毒」は人間にとって切っても切れないようなもの。だから苦しむのです。
実は、仏教の開祖であるブッダは、瞑想や修行はこのような苦しみからの逃避であって、根本的解決にはならないということに行き着いたようです。
だからこそ、このような煩悩を受け入れ、それと共に人生を歩むために内省する、という修行になったとされています。
そして、この内省こそが「恨み・辛み」を手放すヒントになっていきます。
許せない人や事柄はどうすればいい?
内省にあたってぜひやってみていただきたいのが自問自答です。
例えば、職場で嫌な上司がいたとします。自分にとっては理不尽な事や嫌な言葉を言われてきて、少なからず恨み・辛みがあるとしましょう。
では、その恨み・辛みの感情を抜きにして、以下のような質問を自分にしてみてください。
それを受け取ったメリットは?
例えば、
・キツい仕事をやり遂げることで多少は達成感があった
・理不尽なことを言われて、自分が大切にしたいものが再認識できた
・興味のないことややりたいことをやる免疫がついて成長したな
それを受け取らなかったデメリットは?
例えば、
・もし、そのつらさに耐えれずにすぐに辞めたりしたら、辞め癖や逃げ癖がついたかも
・自分のやりたいことやしたいことだけをしていく自信もなかったから、良い経験になった
・なんだかんだ自分に必要だと思ったから逃げ出さなかったから、同じようなことにあってもショックは小さい
このように、あえて、この許せない人や事柄を肯定する視点を持つのです。
つまり、嫌だ嫌だ、許せないと思っていたこの件について、一旦、向き合います。
「受け入れる」とは「手放す」に繋がる
このように向き合うことで、きっと発見があると思います。
自分では頭ではそんなことを思っていなかったけど、深層心理ではそう感じてたんだ!と。それによって、自分自身の中でそれを受け入れることになります。
そして、次に、自分自身にこう伝えてください。
「もう、この嫌な出来事や人に対して、私はメリットを受け取りました。もう、経験しないくて良いです!」と。
これは今まで、自分自身の中にある深層心理と向き合い、受け入れたことで自分自身の心が次の段階へステップアップし、手放せる状態になったのです。
人は、心に重荷がある状態ということは、自分自身の心で握りしめてしまっています。それは自分の頭ではそんなことはないと思っていても、心が手放せない状況になっていたのです。
物事は常に表裏一体ですが、手放すためには一旦受け入れることでスムーズになります。
そして手放すことで、自分の心が少し軽くなり、変わっていくことを実感できます。
「茶禅一味」茶道を通じて心を磨く
人生に何が起こるのか、ということは誰もコントロールできません。
しかし、自分の心をコントロールすることはできます。
あるとき、お笑い芸人のカズレーザーさんが面白いことを言っていました。「人間、怒られたとしても怒られたと思わなければノーダメージです。」と。まさに、これは禅の心だなと思いました。
そして、自分の心の視点次第ではマイナスもプラス、もしくはフラットにもできます。
それは相手や物事を許すということを決して推奨しているわけではありません。
せめて自分自身を大切に愛していくために、自分自身の心を軽やかにする方法です。
朝目覚めて嫌な感情があった状態の1日と少しでも良い感情の状態では過ごす時間が変わってきます。
だからこそ、自分自身を大事にしていくために、禅のパワーを借りてみてください。
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