最近、結婚相談所やマッチングを運営されている方と活動されている方のお話を伺う機会がありました。
その中で、婚活を成功する方の共通点についても伺い、気がついたことがあります。
それは、茶道の禅の教えにもあるなあという考え方です。婚活でなくても、何かを手に入れたいともがき苦しむような状況の場合にとっても、お役に立てたら嬉しいです。
目次
なぜ人は婚活でもがき苦しむのか
私は34歳で結婚をしましたが、20代は友達と婚活をしてみたり、なかなか「この方!」という方に出会えなかったりして悩んだ経験があります。
だからこそ、「もっとこういう考え方をすれば良かったな」という気づきを禅の教えと過去を振り返ってみたいと思います。
「莫外求」(外に求むること莫かれ)
「もっとこういう人がいい」「自分にはないからそれを持っている人がいい」「ああいう人じゃないといや」
自分にとっての完成された相手を求めていませんか?
もちろん、人には好みもあるし、好きになれない人とお付き合いすることは難しいでしょう。
しかし、結婚はゴールではなく、スタートであり、お互いに協力して家庭というチームワークにならなければうまく運営できないのではと思います。
容姿が良い、コミュニケーション能力がある、年収がいい、条件が良ければ良いほど、よっぽどのことがなければ、相手も好条件の相手を選びます。
だから、自分の中で条件を全て捨てよ、というわけではありません。
なぜ、その条件が良いのかをもっと掘り下げる必要があります。
例えば、仕事に真摯に向き合ってキャリアを積み上げている人が良いのであれば、なぜそういう人が良いのか、そして、自分自身はどうなのかと問う必要があります。
この問いでチェックすべきは、「その人と自分が共鳴できるのか」それとも「自分にはない要素だから求めているのか」という本質的なところです。
目に見えるところが共通していなくても、根本的なところが共鳴する相手であれば、良きカップルになっているなと、周りをみていても思うからです。
例えば、音楽を極めて、フリーで音楽の先生をしている友人がいます。彼女は、鳥が大好きで鳥の研究や教える仕事をしている方とカップルになりました。
一見すると、共通点がない二人ですが、「とある対象(好きなこと)について突き詰めている」というところが共鳴しているのです。
しかし、自分が何も突き詰める情熱がないまま生きてきて、そんな人と出会って「素敵だ!」と思っても共鳴することは難しいでしょう。
本来であれば、相手に素敵!と思う部分が自分が欲しい要素そのものでもあるのです。
だからこそ、相手や外に求めるのではなく、自分自分の中で育てて、その要素にした方が共鳴できます。
「心如明鏡台」(心は鏡のごとし)
心は鏡のようなもの。
「自分にはダメな人がくる」「あの人は嫌だ!」と思った方。全員が全員そうではないとは思いますが、あなたも自分を客観視できていないことはありませんか。
結婚相談所の運営の方から伺ったお話ですが、「私のところにくる男性はダメで条件が悪くて,,,」と言う女性。
その方は「所謂、社会的な条件がよくて、気遣いができて、かっこよくて,,,」という好条件でした。
容姿や社会的な条件云々ということは一旦、置いておいて、気遣いができる、コミュニケーション能力がある、といった目に見えないところは、自分自身もできていると思いますか。
相手のことを考えて行動できていますか。もっと俯瞰して物事をみて、相手に居心地良く過ごせるように配慮できていますか。もし、人間関係のトラブルがあった時は、相手のせいばかりにしていませんか。
そうやって「自分はどうなのか」「自分のこの環境は自分が創り出していることはないのか」という問いが必要です。
強い自責ではなく、どうしたら改善するのか、何をしたらより良いのか、といったことに向き合うことがあるのか、といったことが大切なのではないでしょうか。
「放下着」(いっさいの思い込み、執着を捨てる)
自分はメンタルが弱いから、優しく包み込んでいる人が良い。
自分は年収が低くて一人では食べていけないから、安定的に高収入の人が良い。
自分は容姿に自信がないから、容姿が良い人が良い。
思うことは結構ですが、「そうでないと幸せにならない」と思ってしまうのはナンセンスではないでしょうか。
幸せとは心の状態です。条件がよくても自分が幸せを感じることができなければ幸せにはなりません。
自分が「これが幸せなんだ!」と目に見えるもので決めてしまうのは、実は思いこみだったりしませんか。
他人から承認されることが一番の幸せではなく、自分で自分を肯定することが幸せにつながります。
婚活・人間関係の悩みを茶道,禅で改善する
茶道とは禅と本質が同じであり、「道」の文化です。
この「道」とは、1つのものに対して積み重ねる人生となぞらえます。
人としての生き方も修行する、そんな意味合いもあるのです。人生は短くも長く、自分の人生は自分しかいきられません。
周りは自分自身を惑わすようなものがたくさんありますが、それに惑わされないように。
|