生きているとぶつかる人間関係の悩み。
「あの人にこうなってほしい」
「この人にああなったほしい」
「その人にはそうしてほしい」
こんな風に思ったこと、ありませんか?
そうなった時だからこそ、ぜひ禅の教えを活用しましょう。
※茶道は茶禅一味(ちゃぜんいちみ)といって、禅の教えとリンクした文化です。そのため、茶道でも禅の教えや禅語は重視されています。
目次
1:一番簡単なのは「自分が変わること」
よく耳にする言葉だと思います。
「人と過去は変えられない、変えられるのは未来と自分だ」という言葉。
禅語にもこんな言葉があります「安禪不必須山水」(あんぜんはかならずしもさんすいをもちいず)
意味としては、静かな場所でないと心静かに過ごすことはできない、ということではない。環境や周りがどうであっても無心になることはできるものだ。
まさにそうです。
周りから見てどんなにしどくて辛そうな様子を見ても、本人が努力を努力と思わず、楽しんで熱中をしているならば、それは苦労とはいいにくいもの。
しかし、周りから見てどんなにキラキラとして幸せそうに見えても、本人が実は苦しんでいたとするならば、それは苦労といえるのではないでしょうか。
2:禅語「同事」(どうじ)は「相手と同じ立場に自分も立つ」という意味
それと同時に、周りから不当な扱いを受けてしまう、都合良くいかない、という場合には自分がどのような言動をしているかを振り返ることがおすすめです。
この時に重要なことは、「相手の立場だったときに、自分の言動がどう思うか」という視点です。
なかなか難しいことかもしれませんが、相手だって自分と同じで一番かわいいものは自分自身、そして大切な人や家族です。
だからこそ、相手が大切にしたいものを大切にしてあげることも重要なのです。
例えば、
・相手への接し方を変える
・相手から受ける言動からの返答を変えてみる
・「できない」現状から「どうしたらできるようになるか」に視点を変える
禅語にも「同事」(どうじ)といって、「相手と同じ立場に自分も立つ」という意味があります。
もしも、それが難しいという場合には、直接、相手と話し合う場面を作ったりするとコミュニケーションも取りやすいでしょう。
その時、相手に立場になって声をかけることが難しい場合は、以下のポイントをつくことがおすすめです。※ご紹介はあくまで一例です。
・お互いに良い関係を築きたい
・良い関係を築いていくために、どうなったらベストかを知りたい
・そのために、話を聞かせて欲しい
※「具体的にどういう状況に困っていてどういう状況だとベストなのか」というように、細かい回答がかえってくるように細やかな質問をすると良いです。
こんな風に「相手にとってもメリットのあること」であれば、多くの場合は快くコミュニケーションがとれるのはないでしょうか。
もちろん、話し合っている時は、じっくり相手の話を最後まで聞いて、その上で話をしてみてくださいね。
3:自己犠牲・我慢はNG
ただし、ここで注意点があります。それは、我慢や自己犠牲にならないこと。
いくら相手を変える目的があっても、自分をすり減らしてしまうような我慢・自己犠牲があるのは続きません。
禅語にも「忘己利他」(もうこりた)といって、自分の利益を考えずに、他者の利益のために動くという意味があります。
それは、自己犠牲や我慢の上では決して成り立たないものです。
あまりにも自己中心的になると、一時は良いかもしれませんが、なかなか長くは続きません。
だからこそ、自分の中で、「ここまではOK、ここからはNG」といった一種の線引きは大切です。
そして、それを伝えるときは、ぜひ「私がここまではやるというのは、あなたのためです。」と相手にメリット提示または損の提示をしてください。
人は理由がわからないと、そのまま突き進んでしまうものです。だからこそ、あえて言語化するということがとても大切です。
4:自分の心が大事だからこそ、相手の心も大事
人の心や言動というのは、なかなかすぐには変わらないものです。
だからこそ、相手へのアプローチを変えてみるという試みは試してみる価値はあります。
そのとき、人が行動しやすいと言われているのが
・「メリット提示」という、こういう風にするとお得ですよ!というもの
・「損回避」という、この状態だとあなたは損をしますよ!というもの
です。これを知った上で、話をするとうまくいきやすいものです。
そして、人は自分を大切にされたいという生き物。その本質を理解して活用すると人間関係はスムーズにいきます。
その人に執着していませんか?
ここまで来て、どうしても変わらない、という場合におすすめなのは、「手放す」ということです。
人には、コントロールできることと、できないことがあります。
自分が一生懸命に変わってアプローチを変えても状況が変わらないという場合には、そもそもその環境やその人との人間関係にこだわる必要がない、ということなのかもしれません。
禅語にも「放下着」(ほうげじゃく)といって、捨てると軽やかに生きることができるという意味があります。
悩むという状態は何かを背負うような感覚があると思いますが、それ自体を悩みとして執着するよりも、より心が健康的になれるものです。