日本でも人気のムーミン。フィンランド発祥の大人気の文化です。
実は、日本との関わりが深いことはご存じでしょうか。
歴史をたどると、初めてアニメ化されたのは日本だったそうです。
そんなムーミンですが、かわいらしいキャラクターと雰囲気とはギャップのある本質的な物語や台詞がちりばめられています。
日本でも「ムーミンの名言集」といった書籍も発表されています。
そんなムーミンですが、日本の茶道・禅にも通じるものがあります。
目次
自然との調和
ムーミン作品には自然を大切にするエピソードが数多く登場します。
まず有名なのが「楽しいムーミン一家」の冒頭で、ムーミン谷の自然の豊かさが詳細に描写されているシーンです。緑の草原、木々、小川など、谷の自然環境が丁寧に紹介されています。
また「ムーミン谷の彗星」では、ムーミン谷に落下した小惑星がパニックを引き起こしますが、ムーミン父さんは小惑星を傷つけないよう気を付けるよう呼びかけます。自然への配慮の心が伝わってきます。
「火山の島」では島の豊かな自然に魅了されたムーミン一行が、採掘や開発をするのではなく、そのまま保護することを選びます。自然破壊を拒む姿勢が描かれています。
「冒険と謎の国」でも、木やきのこなどに宿る自然の霊性を感じ取ることができる登場人物たちの様子が描かれ、自然への畏敬の念が表現されているとも捉えられます。
目に見えないものを大切にする
さまざまな名言にみられるのは、目に見えないものを大切にするということです。
スナフキンの名言にこのようなものがあります。
「それはいいテントだが、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ。パンケーキ・フライパンも。ぼくたちには、用のなくなった道具だもの」
執着をすべきでないということ。
「自分で、きれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界中でもな」
ムーミンパパの名言にこのようなものがあります。
「だけど、そのままだってきみはきれいだよ」
ムーミンママの名言にこのようなものがあります。
「たまには変化も必要ですよ。わたしたちはおたがいに、あまりにも、あたりまえのことをあたりまえと思いすぎるのじゃない? ねえ、そうでしょ?」
トゥーティッキの名言にこのようなものがあります。
「ものごとって、みんなとてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」自分次第であるということ。
「ごぞんじのとおり、人はおどされてばかりいると、だんだんすがたが見えなくなっちゃうものでしょ?」
こんな風に哲学的とも受け取れる発言をキャラクターにさせているのです。
他者への思いやり
ムーミンの作品には他者への思いやりがある内容があります。
例えば、『ムーミン谷の冬』という作品があります。この話では、ムーミン一家が冬眠から覚めてムーミンハウスの外を見ると、雪に閉ざされたムーミン谷が寂しく静まり返っている様子が描かれます。
そこでムーミンとスナフキンは、谷に住む他のキャラクターたちが寂しい思いをしているのではないかと心配して、一軒ずつ訪ね歩きます。そして皆に会いにムーミンハウスに来てほしいと声をかけます。
この話は、他者への関心と思いやりがあれば、寂しさや苦しみは乗り越えられるのだという希望のメッセージが込められていると思います。ムーミンの優しさと人なつこさが存分に発揮されたエピソードだと言えます。
このようにムーミンの作品には、他者との繋がりの大切さや相手への思いやりといったテーマがよく描かれています。日本の読者にも共感を呼んでいる理由の1つだと考えられます。
日本の文化とムーミンの共通点
このように、日本で永く愛されるムーミンと日本の茶道・禅との共通点といえるのではないでしょうか。
そのほかにも、ムーミンパパは冒険が好きという設定があります。
ムーミンパパは作品を通して、若い頃からの海外冒険や宝探し、未知の場所の探検などの壮大な体験談を語っていきます。
・「楽しいムーミン一家」では、ムーミンパパが若い頃の冒険について語るシーンがあります。彼は海賊になったり、宝島を探したりと、様々な冒険を経験していたことが明かされます。
・「ムーミン谷の彗星」において、ムーミンパパは自身の冒険の日記を書いています。冒険談を書き残すことで、自らの経験を大切にしていることが窺えます。
・「ムーミン谷の夏まつり」では、ムーミンパパが南海の島で宝探しをしていた際の話が登場します。危険を冒しながら宝を見つけたという壮大な冒険譚が描かれています。
・「火山の島」の中で、ムーミンパパは火山島での冒険の最中、失われた文明の遺跡を発見します。彼の探検心と好奇心が新たな発見につながっていきます。
このエピソードも禅語でいうところの「主人公」に捉えられます。
こんな風に、見方を変えると共通点があるように思えますね。
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