このところ、「ジェンダーフリー」というキーワードをよく耳にすることが増えました。
※「ジェンダーフリー」とは、社会的に決められている「男性像」や「女性像」にとらわれず、個人の意思で自由に行動や発言や選択をしていくという考え方のこと。
(引用:カオナビ・人事用語集 2021年9月現在)
実は茶道は女性と男性とで使う道具も違えば、作法も違います。
それは、生物学を基本に骨格が違うから、という理由でもあります。
そんな中で、ジェンダーフリーと茶道について考えていきます。
1:茶道とジェンダー
茶道の歴史では、男性の方がながく茶道と関わっています。
それは日本の歴史とも関わってきますが、いわゆる女性の人権がほぼなかったからともいえます。
そして、武士の時代には栄えた茶道も、その時代が終わる頃には、茶道文化も廃れてしまうと危惧していました。
茶道をどうやって継承いこうかという考えから、女性向けに茶道を展開しようということで、女学校の花嫁修業としてプログラムを組み込みました。
一番最初に女性の教育で取り入れようとした女性が、跡見花蹊氏(あとみかけい)さんです。
今でも跡見学園という学校がありますが、その創設者ですね。
この方は、明治8年に開講した跡見女学校で、茶道を女性の教育の一環としてカリキュラムに取り入れたのです。
2:作法とジェンダー
このように、茶道は多くの男性が行うものから女性も行うようになってきました。
そこで、女性が茶道をやりやすいように、男性向けとは変化を加えていきました。
例えば、道具は女性向けにサイズが少し小さいものだったり、お手前も男点前(おとこでまえ)と女点前(おんなでまえ)と違いがあります。(もちろん流派によって異なる部分はあります)
表千家を例に出すと、
・袱紗裁き(ふくささばき)
男点前は、音を大きく出す。女点前は、最初だけ音を出してあとは音を出さない。
・お茶の出し方
男点前は、居前(いまえ)のまま茶碗の向きを変えてお出しする。女点前は、お客さまに近い客付き(きゃくづき)斜めに向いて、お茶碗を2度ほど回してからお出しする。
・柄杓の置き方
お茶を点てた後に、しまっていく作法の際に、茶筅通しのお湯をお茶碗に入れて、柄杓を釜に置く際は、男点前は、居前(いまえ)のまま茶碗の向きを変えてお出しする。女点前は、お客さまに近い客付き(きゃくづき)斜めに向いて、お茶碗を2度ほど回してからお出しする。
それぞれが一番美しい形で作法ができるようにと構成されて受け継がれてきたものだそうです。
3:ジャンダーフリーと茶道
ここまできて、茶道の歴史上、ジェンダーが残っていることがおわかりいただけかと思います。
しかし、時代は変わり、21世紀。ジェンダーフリーの概念が広がる中で、伝統的な茶道はどう変わってくのか、それとも変わらないのか。
あくまでも私の見解ですが、きっとこれからは男女差ではなく、自分で選んで好きな方のお点前をしてもよいのではないかと思っています。
その理由は、女性的な身体をされた男性もいらっしゃれば、逆もまたしかり。そして、性自認がグラデーションの方もいます。
だからこそ、男点前や女点前というのはあくまで言葉だけとなり、本質的な軸を受け継がれていけば良いのはと思っています。
ジェンダーフリーは、人間性の原点にかえることか
ここからは、中学から大学院まで女子校だった私の話にはなりますが、振り返ると、女性だらけの環境で育ったことで、男性との共存という意識が身近にありませんでした。
それゆえ、女性だからといっても文化祭ではちゃんと力仕事はするし、女性ひとりでも自立することの大切さみたいなことを学んでいったと思います。
※ここでいう自立とは、経済的な面だけでなく、精神的な面もあります。
思春期に「異性」という存在がなかったからこそ、ひたすらに「同じ性の中でいかに自分と向き合っていくか」ということがテーマにあった気がします。
そこを経て、社会人になると、当然社会の一員として男性との共存が求められるのは時には戸惑ったり、女性であるがゆえの悩みも出てきました。
特に身体的な意味でいえば、違いがあるのは明確であり、そこから影響される生理現象や精神変化もあるのは事実なため、すべてがジェンダーフリーで何もかも統一されることが良しとは思いません。
これからの社会がどうなっていくかは分かりませんが、一人一人や生きやすい世の中にどんどんとなっていくことを願っています。