お湯や水で洗った茶碗を拭く「茶巾(ちゃきん)」

茶道には、点前(てまえ:お茶を点てる一連の作法)の最中に「お湯や水で洗った茶碗を拭く」というものがあります。

客の目の前で茶碗が丁寧に清められていくその無駄のない所作は、茶器のチリを払うと同時に、亭主自身の心のチリを払い、それを見つめる客の心までも清々しくさせる力を持っています。

そこで、「茶巾(ちゃきん)」を使うのです。
これは白い長方形の布です

古くからの伝統により「一尺×五寸(長さ約30.3センチメートル、幅約15.2センチメートル)」ほどに定められています

もちろん、流派や使用する茶碗の大きさによってごくわずかな違いはありますが、この「一尺×五寸」という大きさが、点前の所作の中で最も美しく見え、かつ茶碗をしっかりと拭き清めるのに適した究極の黄金比であるとされてきます。

形状と仕立てにも、茶道ならではの細やかな心配りが隠されています。幅一尺に織られた白い麻布を長さ五寸五分に裁断し、その両端の裁ち目を白糸で「撚りくけ(よりくけ)」という技法でかがり縫いして、最終的に五寸に仕上げます。このとき、布の上端と下端で縫う向きを意図的に「逆向き」にかがります。こうすることで、布に「裏表」が生じないようにする、という驚くべき工夫が施されているのです。茶室という空間において、道具に裏表がないことは、主客の心に裏表がないこと(直心)の象徴でもあります。

また、茶巾には用途や歴史的背景によって、いくつかの種類が存在します。

名称特徴と主な用途背景・由来
茶巾(本茶巾)一尺×五寸の純白の麻布。点前中に茶碗を拭き清めるための基本の道具。

常に清潔であることが求められ、使い回しは避けるべきとされる

小茶巾(こぢゃきん)

濃茶を回し飲みした際、客が自身の飲み口を清めるために使う小さな布(または不織布等の紙製)

湿らせて折りたたみ、防水性のある小茶巾入れに懐中して茶席に持ち込む

紅茶巾(べにちゃきん)

紅花で赤く染められた麻布。還暦祝いの茶事や、ひな祭りのお茶会などで華やかに用いられる

千宗旦が、東福門院の口紅が白布に付くのを気遣い、あらかじめ赤く染めて献上したのが始まりとされる

江戸時代の書物『茶道要録』には「長サノ定ナシ、茶盌ノ大小相應ノ心得アリ、露ヲ能取ベキ爲メ也(長さの決まりはない、茶碗の大小に合わせ、水滴をよく取れるように心得よ)」と記されており、茶巾の本質が単なる規格ではなく「いかに道具を清められるか」にあることが伺えます

季節を彩る茶巾の「おもてなし」

さらに興味深いことに、茶巾は単なる実用品を超えて、季節の移ろいと亭主の細やかな心遣いを表現する「演出家」としての役割も担っています。夏と冬とでは、同じ一枚の茶巾を通じたもてなしの作法が劇的に変化します。

季節手前の名称茶巾を用いた趣向と演出の意図
夏(酷暑)洗い茶巾(あらいじゃきん)

平らで口の広い夏用の平茶碗(あるいはガラス製の茶碗)に、水を七分目ほどたっぷりと張り、その中にたたんだ茶巾をおよがせたまま客の前に持ち出します。客の目の前で茶巾を絞り、茶碗の水を建水(けんすい)へあける際、ぽたぽたという「涼しげな水音」を響かせます。この水音と視覚的な瑞々しさが、酷暑の中を訪れた客への最高の「涼」のもてなしとなります

冬(極寒)絞り茶巾(しぼりじゃきん)

湯が冷めにくい、背の高い筒型の茶碗(筒茶碗)を用います。あらかじめ水屋(準備室)で茶碗を熱いお湯でしっかりと温めておき、その中に絞ったままの茶巾を入れて客の前に持ち出します。点前の途中で、湯気を立てながら温かい茶碗の中で茶巾をたたみ直す時間を取ることで、茶碗をさらに温め、極寒の茶室に「温かい湯気」という最高のもてなしを提供します

同じ一枚の白い布を主役にしつつ、夏は水音で「涼」を伝え、冬は湯気で「温」を伝える。茶の湯の深い季節感と精神性は、こうした小さな所作の中にこそ凝縮されているのです

どのようなものでできているのか? 

茶巾は、「麻(あさ)」でできています。綿や化学繊維のものが大量生産される現代にあっても、正式な茶巾には真っ白に晒(さら)された上質な麻の布が用いられます

特に、手績み(てうみ:手で繊維を細かく裂いて繋ぎ合わせる作業)と手織りによって作られた高級麻織物「奈良晒(ならざらし)」が、現代でも最高級品とされています

では、なぜ扱いやすい木綿ではなく「麻」であり、なぜ「純白」でなければならないのでしょうか。それには、極めて合理的な「実用性」と、深い「精神性」の二つが密接に関わっています。

1. 実用的な理由:機能美の極致

麻は天然繊維の中でも吸水性に非常に優れ、かつ乾きが早いという傑出した特性を持っています。茶碗についた水滴を瞬時に吸い取り、すぐに乾くため、茶席の進行において非常に理にかなっています。 さらに重要なのが、麻の繊維が持つ適度な「コシ」と「張り(ハリ)」です。木綿のように柔らかすぎず、さらっとしていないため、水に濡らして折りたたんだ際に形が美しく保たれます。この適度なハリがあるからこそ、茶巾が手にぴったりと沿い、茶碗の曲面にしっかりと密着して、繊維のくず(毛羽)を残すことなく拭き上げることができるのです

2. 精神的な理由:神聖なる「白」の象徴

古来より、日本において麻は神事に用いられる極めて神聖な植物とされてきました。伊勢神宮をはじめとする神社で、天照大御神などの神々に捧げられる食べ物以外の供え物を「幣帛(へいはく)」と呼びますが、その代表的なものが麻の織物です。 麻の繊維は本来、生成り(淡い茶色)をしており、そのままでは繊維がゴワゴワとして染料にも染まりにくい性質があります。これを灰汁(あく)で煮て、流水で洗い、日光にさらし続ける「晒し(さらし)」という途方もない手間をかけることで、不純物が抜け、柔らかく、目も眩むような清らかな純白の布へと生まれ変わります。 茶巾を用いて茶碗を拭うという行為は、単なるクリーニングではありません。神に捧げるのと同じ神聖で純白な布を用いて、物理的な汚れとともに精神的な穢れを祓い、道具を清める。その行為そのものに、日本の精神文化の精髄が込められているのです

どのような歴史があるのか?

茶巾の歴史、とりわけ最高級の茶巾の代名詞である「奈良晒」の起源は古く、鎌倉時代にまでさかのぼります。当時は、南都(奈良)の寺院で僧侶が身につける袈裟(けさ)として生産されたのが始まりとされています

茶道が「侘び茶(わびちゃ)」として大成していく室町時代から安土桃山時代にかけて、茶巾は茶室の中で極めて重要な意味を持つようになります。侘び茶を完成させたことで知られる稀代の茶人・千利休(せんのりきゅう)は、独自の哲学と審美眼によって茶の湯を革新しましたが、彼が何よりも重んじたのが「清浄さ」でした

茶道の教えを和歌にしたためた『利休百首』には、次の一首が残されています。

「水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝柄杓と心新しきよし」

これは、「お茶に用いる水や湯、茶碗を清める茶巾、茶を点てる茶筅、そして柄杓などの道具は、常に新しく清浄なものを用い、主客ともに心も新しく真っ直ぐな初心で臨まなければならない」という強い戒めです。茶巾は客を招く際、決して使い回すべきものではなく、茶会ごとに白く新しいものが求められました

さらに、江戸時代の書物『茶話指月集(さわしげつしゅう)』には、利休と茶巾にまつわる非常に有名な逸話が記されています

ある田舎の侘び茶人が、利休のもとへ金子一両(当時としては大金です)を送り、「何でもよいので、茶道具を買って送ってほしい」と依頼しました。依頼した茶人は、名物の茶碗か、立派な茶入が届くかと胸を躍らせていたことでしょう。しかし、利休はそのお金をすべて「真っ白な布(白布)」の購入にあてて送り、こう言い添えました。

「佗び茶では、何がなくても茶巾さえきれいであれば、茶は飲めます」

豪華な茶碗や高価な道具を持っていなくとも、一枚の純白の茶巾があり、道具と己の心を清浄に保つことさえできれば、最高のもてなしは成立する。物質的な豊かさではなく、精神的な清らかさこそが茶の湯の神髄であると、利休はこの一枚の布を通じて説いたのです。

その後、江戸時代に入ると奈良の麻織物技術は大きく飛躍します。1611年(慶長16年)、徳川家康の命により幕府の御用品指定を受け、生地の端に「南都改(なんとあらため)」の朱印が押されるようになりました。これにより、武士の正装である裃(かみしも)や僧侶の法衣、そして茶道の茶巾としての莫大な需要が生まれ、奈良随一の産業として栄華を極めました。 1754年(宝暦4年)に刊行された各地の名産品を記した『日本山海名物図会』には、「麻の最上は南都なり。近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」と、その品質が日本一であると絶賛されるに至ります

有名な作品は?

「茶巾」そのものは、利休の教えにもある通り「常に新しく清潔であること」が求められる消耗品としての性格を強く持つため、特定の古い茶巾が「国宝」や「名物」として美術館に仰々しく展示されることは基本的にはありません。茶巾の美しさは、あくまでその瞬間の清らかさと、亭主の所作の中にのみ存在します。

しかし、茶巾に関連する「茶巾筒(ちゃきんづつ)」という道具には、息を呑むような名品が数多く存在し、世界中の美術館に所蔵されています。

茶巾筒とは、主に屋外で景色を楽しみながらお茶を点てる「野点(のだて)」などで用いられる「茶箱(ちゃばこ)」や「茶籠(ちゃかご)」の中に、茶巾を小さく折りたたんで収納するための、小さな筒状の器です。 茶箱は、限られた極小のスペースの中に、茶碗、茶筅、茶杓、香合など、お茶に必要なすべての道具をパズルのように美しく組み込むため、「数寄の玉手箱」とも呼ばれます。茶人が自らの審美眼を極限まで発揮して道具を「見立て」、組み合わせる究極の遊びでした

その極小の宇宙を彩るため、わずか数センチの茶巾筒には、陶工たちの持てる粋と技術のすべてが凝縮されました。 例えば、江戸時代の天才陶工・青木木米(あおきもくべい)の作による染付の茶巾筒や、中国・明時代に作られた祥瑞(しょんずい)、色鮮やかな伊万里焼、典雅な京焼など、精緻な絵付けや細工が施された茶巾筒は、それ自体が独立した美術品として極めて高く評価されています

意外なものやこととのつながり

茶巾という言葉は、茶室の厳粛な空間を飛び出して、皆さんのよく知る「食」の世界に深く、そして美味しい形でつながっています。

その最も有名な代表格が、デパ地下や高級寿司店でお馴染みの「茶巾寿司(ちゃきんずし)」です。 薄く美しく焼かれた黄色い玉子焼きで、椎茸や干瓢、蟹そぼろなどを混ぜ込んだ風味豊かな酢飯をふんわりと包み、三つ葉や細い昆布で上部をきゅっと結んだ、あの愛らしいお寿司。実はこれ、大正時代に誕生した比較的新しいお寿司なのです

大正12年(1923年)、日本の宮家の一つである伏見宮家(ふしみのみやけ)の調理場で、御膳所包丁人として仕えていた小原義太郎という人物がいました。ある日、宮家で茶の湯の催しが開かれた際、小原は「通常の献立ではなく、お茶の席にふさわしい茶味(ちゃみ)のある風雅な料理を出したい」と工夫を凝らしました。 そこで、茶事において茶碗を清める「茶巾」の美しい形に見立てて、薄焼き玉子で寿司飯をふんわりと包み込んだ料理を献上したのです

この創意工夫は皇族方から大絶賛され、その姿の美しさと奥ゆかしさから、宮家より直々に「茶巾」の名を賜ったと伝えられています。 その後、昭和8年(1933年)に小原義太郎は東京・赤坂に上方寿司の専門店「有職(ゆうしょく)」を開業し、茶巾寿司は瞬く間に世の華族や美食家たちの間で大ブームとなり、現在に至ります

また、和菓子の世界や日本料理の技法にも「茶巾絞り(ちゃきんしぼり)」という言葉が定着しています。 茹でたサツマイモや栗、カボチャなどを裏ごしし、清潔な布巾(現代ではラップを使うこともあります)で包んで上部をきゅっとねじり、表面に美しい絞り目をつける技法です。秋の味覚である和菓子の「栗きんとん」などがその代表的な例です。これも、布の端を寄せて絞る形が、茶道における茶巾の扱いや結び方に似ていることから名付けられました。

流派によって扱い方も異なる

流派茶巾のたたみ方の名称特徴
表千家・裏千家(三千家)ふくだめ茶巾

茶巾を横に持ち、上辺を向こうへたたみ、左手親指にかけながら左右半分にたたみ、さらに右側を向こうへたたんで端を折り返す。ふっくらとした形に仕上げる

遠州流など(武家茶道)千鳥茶巾(ちどりちゃきん)

茶巾を対角線に持って三つ折りにし、両端(耳)が出るようにたたむことで、鳥の「千鳥(ちどり)」が羽を休めているような優美な形にする

また、先述した夏(洗い茶巾)と冬(絞り茶巾)で変わる、涼やかな水音や温かな湯気の立ち上がりにも注目してみてください

意外と様々なつながりがある「茶巾」

茶道というととても遠い存在に思えますが、「茶巾●●」というように、他のものにもつながっています。

こんな風に意外な接点も発見していくと面白いですね。

 



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【参考・引用資料】


 

 

 

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